秋麗さやけし
 



          




 時折は朝の涼しさがそのまま日中まで保つ日もあるものの、秋とは名ばかりのまだまだ残暑が厳しい九月が、それでも半ば以上過ぎようとしかかっていた。
「お疲れさまっしたっ!」
 先輩さんたちがベンチから引き上げて行くのを見送りつつ、スポーツ飲料のポットやらタオルやら、腕や足から早々と剥がされたサポーター用のバンテージなどを片付ける。他のチームと違い、雑務はマネージャーだけが担当するのではなく、特に後片付けというキツイ仕事は一回生に順番に当てられている学校で。フィールドレベルという一番の間近にて試合を眺められるベンチに入った一回生の何人かはそっちの要員だったりする。
「桜庭、今日は高見は一緒じゃないのか?」
「あ、はいっ。」
 使った後のバンテージに手古摺りつつも、声をかけて来た三回生の先輩マネージャーに答える。
「高見さんは今日は主務の○○さんと◎◎スタジアムに行ってます。」
 *高見さんて1年上の先輩さんだったんですってね。そっか、だから敬語だったのか。
 今日の同じ日に、別なスタジアムで試合中のライバルチームの戦力確認にと“偵察
スカウティング”しに向かっている事を告げると、
「そかそか。」
「サンキュー。」
 気さくに笑って下さるのは、やはり上級生のマネージャーさんで。芸能人として全国レベルで有名な“桜庭春人”は此処にはいないことになっている。いるのは一年坊主の桜庭という新入生。契約のある仕事をこなしているところへの格別のお目こぼしというか、細かい仕事を随分と免除させていただいているものの、それがそのまま自分のレギュラーまでの道にもハンデになっていることは百も承知。関東学生アメフト連盟の、現在は二部リーグ内にランクを置く大学のチームで。人手は足りてる大きなクラブなので、大昔の体育会系風な理不尽なあれやこれやはなく、何につけ無理強いはしないが、怠惰からでも事情があってでも区別なく、練習に出て来れない輩にはそれなりの処遇が待ち受けている。練習も雑務もこなしてこそ、所属選手としての籍を認められるのがまず基本。実力が云々されるのはそれからだそうで、よって有名人だからなどという肩書なんぞ、此処ではむしろ重荷やハンデにしかならないのだけれど、
「桜庭っ、◇◇っ。そっち片付いたら、もう上がって良いぞ。」
「早く帰らないと、ミーティングに間に合わないよ。」
「はいっ、ありがとうございますっ。」
 きちんと義務をこなす態度、誠実な生真面目ささえ発揮すれば、マネージャー陣の方も心得ていて、ちゃんと融通を利かせて下さるからそれもまた嬉しい。粘着剤つきのバンテージテープを出来るだけ小さく丸めてかき集め、他のゴミと一緒に拾っていた一回生部員の二人へ、早く切り上げてガッコへ戻れよとお声をかけて下さったので、いいお返事を返してからゴミ袋を抱えて更衣室へと向かうこととする。
「あ。あのさ、俺…。」
 トレーニングウェアから着替えながら、今日の相棒である◇◇くんがちょこっと口ごもったのへ、くすすと苦笑し、
「うん。途中で寄ってく御用があるんだね。」
 こっちから持ちかけてやれば、見るからにホッとして、でも同時に手を合わせて拝まれてしまった。
「ごめんな? 桜庭。」
「いいってばvv」
 柔らかな笑顔でにっこりと笑ってくれる彼自身が悪いのではないのだけれど。とっても気のいい、裏表のない好青年だって、重々知っているのにね。部活という枠から離れると、世間様から一斉に注目される超有名人な青年であるがため、一緒にいることへ何となく気後れが生じてしまう同級生たちも少なくはない。中学高校とエスカレーター式に同じ顔触れで囲まれていた頃は、周囲もまた慣れがあったけれど、此処ではそうは行かないらしく。桜庭自身もその点へは重々と理解してもいて。先にこの大学へと進学していた高見さんが、さりげなく気を遣ってくれているのも大きくて、しょうがないかと苦笑いするだけで済むようになってはいるのだが。
“…そんなすぐには無理だもんね。”
 勿論、ドライに構えて気にしないで付き合ってくれる知己もたくさん出来た。けれどやっぱり、落ち着けない気分や齟齬はこうやってたまにやって来る。◇◇くんが先にそそくさと出て行った後の無人のロッカールームにて、肩を落としつつ…ついつい はぁあと溜息を一つ。でもでも、
“…いけない、いけない。”
 髪を揺すぶるようにして大きくかぶりを振ると、アイボリーのシャツのボタンをてきぱきと留め終えて。淡いスモーキーブラウンのパンツにスニーカー、いつものスポーツキャップを目深にかぶり、さあガッコへ帰るかとバッグを肩に部屋を出た。






            ◇



 まだまだ残暑は厳しいが、だからと言って開放的な格好でいるとすぐさま顔が指す身の上だから。まだレギュラーでもないのに“姿を生で見たい”と駆けつけてくれたファンには特に見つからないように。さりげなく気配を消して、観客の一人を装って、まだ少しは流れのある人の波に乗ってスタジアムの外へと押し出される。今日は連休の中日。プロ野球が初のストライキを起こしたのでと、こちらへ回って来て下さったギャラリーも少なくはないらしく、人の流れは結構なもの。繁華街の雑踏よりは人目を気にしなくても済むかと、肩の力をやっと抜いたその時だ。

  「………待たせやがってよ。相変わらず、グズとろなのな。」

 雑然とした環境音を背景にした、ほんのすぐ間際にて。くっきりしたそんな声が沸き立って、スルリと耳へ滑り込んできたのだ。

  ――― え?

 この声って…と頭の中でインデックスをまさぐる暇もあらばこそ、ぐいっと腕を引っ張られ、
「ほら、こっちだ。」
 当然のことという態度にて、さっさと先を行く…金髪頭。細い肩を尚のこと、しゅっと引き締めている濃色のシャツに、やっぱり引き締まった下肢を包むブルージーンズといういで立ちの。見覚えがあり過ぎる後ろ姿へ、ドキリと胸がときめいて。
“うわぁ〜〜〜、僕よか目立ってないか?”
 ちょっとだけ案じてしまったが、スポーツマンにこそ髪を染めている人が多い昨今。やっぱり大して注視は受けていないかもと納得し、やっと安心して相手のお元気な歩調へと自分の足取りを合わせることに意識を移す。シャツごとこちらの腕を掴んだままな白い手が、斟酌なく強引だっていうのに…何だか懐かしくて嬉しい。ちょっとだけ凹みかけてたタイミングだったから尚更に。そんな気分から掬い上げてくれた しゃんとした細い背中が、眩しいやら愛しいやら。
「…ねぇ。」
「なんだ。」
 そっけない声。でも、いつもと一緒だからそこがまた嬉しい。
「わざわざ来てくれたの?」
「さあな。」
 短い応じだけ。でも、いつもと一緒だからそこが擽ったくて。
「………。」
 特に何にも話しかけず、随分と大きな補導少年みたいに、ただただ引っ張られて歩いて歩いて。やっと辿り着いたのは、競技場から結構離れた、高架下の小さな駐輪場。元気の良い陽光から遮られている分だけ、少しほどは涼しいかもという空間であり。駐輪場として自転車やスクーターがごちゃりと並んだその中に、サクサクと脚を進める金髪痩躯のお相手の、濃色シャツの腕をこっちからも掴み取る。
「ねぇ、どこまで行くの?」
 そういえば10日ほども逢ってなかった大好きな人。夏休みの終盤からお互いに忙しくなったから、メールだけのやりとりになり。そうなるとどうしても、こっちからばかりの一方通行になっちゃうもんだから。シャイなのは知ってるけど…やっぱり寂しいかななんて思ってもいた、自分にとって一番愛しくて大切な人。どうせならお顔を見たいと手を伸ばしたんだけど、
「もうちっとだ。」
 そっぽを向いたままなんだもんな、相変わらずつれないんだから。むうと意気消沈しかかった桜庭だったけれど。

  “………あ。”

 後ろからでもよく見える、少ぉし尖った耳の先。気のせいかな、ちょこっと赤い。それに、こっちから掴んだ桜庭の手を、煩いと振り払わずにそのまんまで放っているし。

  “ねえ、やっぱり逢いに来てくれたんだよね。”

 依然として足を止めないでいる彼の背へ、ついついほころぶ緩んだお顔を向けたまま。引っ張られ続けていた桜庭だ。駐輪場をどのくらい進んだか、向こう側の通りの出入り口に近い一角でやっと歩調が緩まって、

  「おう、待たせた。」

 そんな声を誰かにかけた金髪の悪魔さんであり。
“…え?”
 てっきり一人で来た彼だと思い込み、連れがいたとは思わなかったから、桜庭が驚いたのは言うまでもなかったが、
「………あ。」
 蛭魔が声をかけたその相手が、自分もよく知る人物だったから…なのにやっぱり意外でビックリ。漆黒の髪を少ぉし長めに伸ばし、ポマードだろうか整髪料でびしっと決めてる長身な人物。精悍に鍛え上げられた体躯を包んで…この暑いのに長袖長裾の真っ白い詰め襟をその筋の特攻服のように羽織った青年で、
「葉柱くん?」
「…くん付けは よせ。」
 自分の愛車だろうカワサキゼファーをベンチ代わりに、シート部分へ少しほど凭れて立ってた彼こそは。賊徒学園大学部へと進学し、そこのアメフト部でやはり活動中の、葉柱ルイくん、その人であり。ご近所だった蛭魔のみならず、桜庭もまた高校時代からの縁はあって。所謂“顔なじみ”という間柄。そんなせいでか、さして友好的ではないしかめっ面のままに、それでも会釈はしてくれた彼が、
「こいつを乗せようってのか?」
 顎をしゃくって蛭魔へと訊く。こいつというのはどうやら桜庭のことであるらしいのだが、

  “…乗せる?”

 そういえば。泥門高校時代の数カ月ほど、葉柱は蛭魔との賭けに負け、彼の足代わりを始めとする様々な労働奉仕をさせられていた。殊に遠出する時のタクシー代わりを彼自身がし通した話は桜庭も聞いており、ちょこっと羨ましいななんて思ったもんだが、
“セナくんが言ってたな。”
 驚異の3人乗りなんてのもしょっちゅうやってたそうだとか。まさかまさか、このまま蛭魔と自分とを、このバイクに乗っけてけと言ってるっていう会話なのだろうか。
“うわぁ〜〜〜、それはちょっと………。”
 葉柱くんのライディング・テクがいかに素晴らしいかは話に聞いている。高校二年の秋大会、遅刻した…というか迷子になってたアイシールド21くんを後ろに乗せて、長野から東京の会場まで一気に駆けつけた時の、長ランを翻して到着した鮮やかな勇姿は、自分も目の当たりに見ているし。とはいえ、
“事故ったらどうすんだろうか。”
 そうと思ってしまうのもまた、当然の不安というもの。タンデムならともかく3人乗りがいかに危険かは、わざわざの実証を待たなくたって判る。それを思って“ご遠慮したいです”という尻込み気味の表情を…自分でも気づかずに浮かべていた桜庭に気づき、
「ほら見ろ。ジャリプロも嫌がっとるぞ。」
 その呼び方はやめて下さい…じゃなくってね。
(笑) 苦笑混じりにやっぱり顎先でこちらを差して見せる葉柱のその仕草に合わせて、肩越しにやっと振り向いてくれた美人さん。漆黒のサングラスがお似合いな、端正にすっと整った白いお顔がやっぱり綺麗で、怯えかけてたこちらの表情も ついつい解(ほど)けかかったものの、
「何だ、その態度はよ。俺がせっかく、お初の相乗りの相手にって選んでやったってのによ。」
 ピンと張った締まったお声がまた、一際冴えてて小気味良い…のは ともかく。

  「…お初の相乗りの相手?」

 お初の相乗りって、葉柱くんの操るゼファーのタンデムシートに、これまで散々乗ってた人じゃなかったですか? どういう経緯でそんなことになってたのかの、事情を桜庭が聞いた時は、彼らのそんな“隷属関係”もとっくに断ち切れてたそうだけど。それでも急ぐ時なんか、平然と葉柱を呼びつけている蛭魔だと知っていたから。自分も早く免許を取りたいなって、いつも思ってたものだった。高校卒業と同時くらいに、やっとのこと、普通免許が取得出来る年齢になりはしたけれど、
“暇が無かったし、何より危ないからって…。”
 周囲が制(と)めるもんだから、結局その野望は封印されたままの身であって。口惜しいけれど仕方がないかと、先の夏のちょっとしたお出掛けやおデートにもJRやタクシーを使ってた身を歯痒く思ってたところなのにサ。そこんところを微妙にちくちく、擽るように刺激されているようで。相変わらずに痛いとこ突くのが得意なんだからもうと、眉を下げての苦笑をしかかった桜庭だったが、

  「ほら、見てみろよっ。」

 にっぱりと笑った悪魔さんが、前方の一角へと腕を差し伸べ、そこに停められてあったオートバイを見るようにと示したから……………ええっ、まさか?!

  「………それって。」
  「こいつのバイクだよ。」

 ったく、初心者の素人のくせにあれこれ注文が多くてな。ハンドリングは軽すぎず重すぎず、サスペンションの具合も あーでもないこーでもないって さんざ我儘ばっか言いやがってよ…と。バイヤーのハシゴをさせられたらしい葉柱がうんざりとした顔をして見せて、
「揚げ句にいきなりタンデムだと? お前、そういう自殺行為は俺がいない時にやれ。」
「何だよ。結構重い荷物載せて もう随分と走ってんだから、こいつくらいなら乗せられるってもんだろが。」
「…ちょ、ちょーっと待って下さいな。」
 蛭魔が示したオートバイは、葉柱のそれに比べると小さいものの、450ccくらいの結構大きな中型マシンであり、
「それって…妖一のバイクなの?」
「ああ。」
 葉柱へと訊いたのへ、続けて…さも誇らしげに、
「そうだぞ♪」
 ご本人が頷いて。うわ〜〜〜、凄い御機嫌そうな顔だ〜〜〜vv こんな美味しいお顔は滅多に見られないぞと、ついつい毒気を抜かれた桜庭くんへ、
「確かに、普通免許とは別に中型免許もきっちり取ってるし、路上練習もさんざん積んでる。」
 取ってからのずっと、ガッコまでの往復を、フォローを兼ねてほぼ毎日付き合わされたからと。聞きようによっては…桜庭がついつい焼き餅を焼きたくなるよなことを、ぺろっと口にした葉柱だったが。
「そうは言ってもな。この細身の細腕で操ってるんだぜ? いくら馬力があっても限界ってもんがあるって、口を酸っぱくして再三言ってんだのによ。」
 俺が言っても訊かなくてな〜〜〜、お前からも言ってやってくれねぇかなと、すっかり困り顔になってる総長さんであり、

  「お前が言った方がよっぽど効果もあるだろしよ。」

 しょっぱそうな苦笑をして見せる葉柱くんへ、

  「勝手に話を進めてんじゃねぇよ。」

 金髪美人の悪魔さんがご自慢の脚を振り上げ、げしっと蹴り倒したのを見やりつつ、

  “うう〜〜〜。これは…困った。”

 ようやくのこと、事情の全貌が判って、さて。練習を積んだ上で“機は満ちたり”とタンデムの相手に迎えに来てくれたのを素直に喜んで良いやら、それとも…やっぱり危ないからもう少し慣れてからねと諭した方が良いのやら。相変わらずに困ったことをしでかすのがお得意な、愛すべき悪魔さんへの甘酸っぱい想いに胸が沸き立ってしまったアイドルさんだったりするのであった。







  clov.gif おまけ clov.gif


  「ところで、明日は暇か?」
  「え? …あ、うん。試合もないし、練習も休みだよ?」
  「じゃあ、一日付き合いな。」
  「え? ///////
  「チビたちの体育祭をな、見に行こう。」
  「え〜〜〜。」
  「なんだ、そのトーンダウンはっ。」


  ――― だって、ねぇ?
(苦笑)







  *大学リーグの秋大会の日程をやっとこ調べました。
   案外と日程がばらついてるんで意外でしたが、
   あんだけチーム数があるんですものね。
   土日がずっと忙しくなる秋だそうで、
   本番、正念場ですものね。
   …だってのに、後半では誰かさんも登場なさるかも?(ふふふのふvv


TOPNEXT→***